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2012/05/16
下関の寺院の分析
いわゆるお寺やお宮は神社仏閣としてひとからげにまとめて語られることが多いですが、歴史的に見ても、宗教的にもても両者は重要な位置にあり、あるときは対立するものとして、あるときは融合するものとして存在してきました。
江戸時代には「寺請制度」によって人々はいずれかの寺院を菩提寺としその檀家になることが義務づけられたことにより、仏教の教団としての活動の多くの部分 が低下してしまいましたが、反面檀家の法要などで得られる収入により寺院を安定して維持できる環境になったわけです。
さらに、古くから仏と神を同一視する考えや神も仏の救済を求めるという考えが広まり、結果的に神社の傍らにはお寺が建てられ神宮寺となり、僧侶が神官を兼ねることもありました。
このため同一敷地内や隣接地に神社と寺院が並んで建っている場合も多くあります。
山口県の場合には、特に西部は長門三山と呼ばれる、華山の神上寺、松嶽山の正法寺、桜山の南原寺の影響が大きく、これら3つの寺院の末寺として真言宗の密教系寺院が多く建てられました。
しかし江戸時代の毛利氏による真宗保護政策により多くが浄土真宗の寺院に衣替えしてしまったようです。
長州藩は古い寺院や神社の保存修復には熱心で、藩の費用によって修復された神社仏閣も少なくありません。
このため非常に多くの寺院が残っていました。
しかし、明治以降神仏分離思想が広まり、また明治政府の方針から神道が尊重され、廃仏毀釈運動を経て多くの寺院が荒廃、廃寺が相次ぎました。
下関市内(山口県)の寺院の特徴は人口一人あたりの寺院数が多い事、及び江戸時代の藩主毛利氏の浄土真宗保護政策により、浄土真宗の寺院数が他の県に比べて際だって多いことが挙げられます。
全国の寺院と下関の寺院の宗派別割合をまとめて(
※注)にしてみましたが、全国平均では曹洞宗の19%弱浄土真宗本願寺派の13%強と続きます。
ただ、宗派によって分派の多い宗派と少ない宗派がありますので、歴史的に見た宗派の系統で集約すると、浄土真宗系がトップになります。が、しかしその割合は27%弱で、2番目の曹洞宗系が19%弱です。
これに対して下関市内の寺院では45%が浄土真宗系で2番目が真言宗系の13%になります。
また、真宗系でも本願寺派が突出しており、全国で3番目の大谷派は毛利氏が禁止したためにいまだに市内ではゼロです。
※注エクセルファイル(68kB)ですのでご注意を!