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2010/05/14
002 亀山八幡宮 旧県社、別表神社 毎年初詣や祭に参詣
750-0004  下関市中之町1−1 サンデン交通バス「唐戸」バス停下車徒歩3分。
祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇
創建:貞観元年(859年)神託により国主が創建。 例祭:10月6〜7日、13〜14日
平安時代・貞観元年(859)に宇佐八幡宮から勧請された。
「関の氏神さま」「亀山さま」と親しまれている亀山八幡宮がある地は、古くは島であったという。
平安時代、京の都の守護のため宇佐神宮(大分県)から石清水八幡宮(京都府)に勧請される途中、この島の麓に停泊された。
その夜、「此の山清浄なり、我もっとも愛す。暫らく祭祀し奉り路を進むべし」とのご神託があり、供の勅使は国主に命じ仮殿を造営させてお祀りし、再び京に向かわれたと伝えられている。
「亀山」という名称は、当時島の形が亀に似ていたとも、宇佐の八幡様がお祀りされている山が亀山だからともいわれている。
室町時代に明と貿易が始まると、遣明船は太刀を奉納し航海安全を祈願した。
戦国時代、国内はもとより当藩も疲弊し神社も荒廃していたが、藩主大内義興は永正3年(1506)に朝鮮国国主に当宮修復の寄進を要請し、その財でもって社殿・楼門等が修築された。
当時朝鮮と交易していたとはいえ海外に寄進を仰いだことは稀有なことである。
次藩主義隆も神社の興隆に力を注ぎ神領550石を寄進され、次いで毛利藩主も300石を献じ能舞台等を建立。
元禄15年(1702)には「長門国三社」と号されている。
江戸末期の文久3年(1863)藩主は攘夷を祈願、慶応3年(1867)に国難去ったとして剣馬を寄進された。

このように朝廷、大内氏、毛利氏の崇拝が厚く、旧赤間関60ヶ町の氏神として親しまれてきた。
また鳥居脇には山陽道始点の碑がある。
→亀山八幡宮ホームページへ
地元の氏神でもあるのでお祭りや花火大会を通して子供の頃から慣れ親しんだ神社です。
拝殿 日本一のふくの像 お亀茶屋跡

 伊藤博文公夫妻史跡
境内社

おかめ明神
由緒書きと案内図
山陽道起点の碑 大鳥居

 前は国道9号線
交通安全ステッカー パンフレット
        夏越祭の日の拝殿


御朱印
拝殿内部 幕末の亀山大鳥居

鳥居のすぐ前は海で、右手の建物は海番所とのこと。