Last Update
2010/05/03
016 桜山  南原寺 真言宗御室派 2008.4.19 参詣
759-2131 美祢市伊佐町南原 十八不動三十六童子霊場第七番札所、ぼけ封じ観音霊場第二十三番札所、長門三十三観音霊場第十七番札所。
当寺は神功皇后を草創、聖徳太子を開基、花山法皇を中興とする真言宗の寺院で、寺伝によると聖徳太子が仏教を広める為、全国に46ヶ寺を建立されたその中の1ヶ寺とされ、往古は難払寺、難波羅寺と称していた。
聖徳太子は当山と神功皇后の故事に因んで、 「難を払う寺」として「難払寺」と名付けられた。その後、役行者や弘法大師も留錫され周囲仏閣は三十有余と修験道、密教の聖地として寺運の隆盛は栄華を極めたが平安期にはさびれていった。
その後、正暦2年(991)諸国巡歴の途に掛錫された花山法皇は衰退していた寺運を再興され寛弘5年(1008)2月8日、御年41歳、南原寺に於いて崩御されたと伝えられている。
以来国家の祈祷所として歴朝の尊信篤く、特に四条天皇(1232〜42)は綸旨を下して近隣の里を多く寄進され東厚保、大嶺、伊佐、於福、秋芳にわたり多くの寺領を有した。
建武2年(1332)佐々木直綱による花山法皇秘密法会の供養田など多くの寄進により益々栄え、当時は里に阿弥陀堂、法華堂、地蔵堂、鳴滝寺、光照寺、御影堂、小杉寺等多くの寺領と末寺を有し、山内には西の坊、東の坊、中の坊、上の坊、谷の坊、中谷坊などの諸堂宇が散在し末寺を含め周囲仏閣は124坊を数えるに至った。
又長門の国の鎮護寺として大内家代々の祈願寺としての庇護を受けた。山内の鎮守である日吉山王権現は山内に七社、里に七社の社を持ち美祢郡中の総鎮守としての権威を持っていた。
以来1400年の間、時世の変遷につれ、又幾多の災害により諸尊、宝物を焼失するなど栄枯盛衰を経て今日に至っている。
山中には坊の跡、祭祀遺跡、経塚群、古墓群など点在し、遺物も多く出土し往時の勢力を窺い知る事ができる。
境内にはシャクナゲや枝垂れ桜、彼岸花、四季折々の花が咲き誇り『花の山寺』とも呼ばれる。
境内の『鳴る地蔵』は宝暦年間に造立の石仏で、頭をさすれば音が響く不思議な地蔵です。
(南原寺のホームページより要約)
→南原寺のホームページ
桜山の頂上は美祢市内の桜の名所として知られていますが、その桜が散った頃に訪問したのですが、境内にはしだれ桜が満開で思いかけず堪能させて頂きました。
桜山公園への道の途中に大きな看板が出ているのですぐにわかります。
長門三山のひとつに数えられた古刹ですが、桜山公園の一郭をなすだけあって道路も参道入口まできれいに舗装維持され、駐車場も数十台は駐車できる広いスペースがきれいに舗装されていました。
桜山公園への道から分岐したところにある案内標 駐車場脇にある説明板 駐車場脇の閻魔堂 参道脇に広がる庭園 参道途中の境内にあるぼけ封じ観音像

弘法大師像 参道途中にある役小角の祠 参道 境内入口から見た全景 本堂を庫裡前から見る

本堂正面から 本堂正面にかけられた寺号札 地蔵堂 なる地蔵尊像 なる地蔵尊の解説板


交通安全ステッカー

御朱印
地蔵堂から見た本堂 庫裡裏にある鎮守日吉山王社