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2016/12/06
024 宮尾八幡宮 旧村社 2008.4.11 参詣
757-0214 宇部市西万倉1774
祭神:誉田別天皇、仲哀天皇、神功皇后、比売大神、宗像三神
創建:不明 例祭:10月3日
真暗村別府八幡宮御縁起によると、別府八幡宮と称える当産土神社は現在地より西北5〜6町あまりの所に別府古宮台という地がありその地に鎮座、その後現在地に遷宮とのことであるが、その遷宮の年暦は詳らかでない。
言い伝えによれば神宮皇后の三韓征伐の折、皇后は神元(ジンガ)の里の小高い山の上にお座りになり、一望を見渡し船の材料として船木にそびえる大楠木をご要望された。しかし里の人は大楠木の小枝を日々の煮炊きに利用していたので、大変困り思案していたところ、そこに白髪の老人が現れ、里人の生活には、燃える木(石炭)が出土するであろうとお諭(さと)しになり、里人は喜んでこの大楠木を献上したといわれる。里人の生活は石炭のおかげで大変豊かになり、この宮尾八幡宮を建立したといわれる。史実によれば1352年(南北朝、大内氏時代)厚東(コトウ)の城主越後守義武(エチゴノカミヨシタケ)氏が宇佐より勧請。現在の建物の神殿部分は1816年に、拝殿部分は1876年建造されたものです。又明治40年宗像三神が合祀されています。即ちこの土地の氏神さまです。1991年の19号台風により尾根が損傷しましたが、氏子崇敬者の力により修復されました。
宗像神社は天平宝字8年(764年)厚東城主 白松太夫物部武綱が筑前の宗像大神宮の御分霊を奉迎し、現在の宇部市東万倉宗方の県道横の小高い地に社殿を建立、 明治40年まで鎮座。明治の神社合併の折。宮尾八幡宮に合祀されるに至った。(宮尾八幡宮ホームページより要約)
→宮尾八幡宮のホームページ
ちょうど桜が満開の時期の参詣することが出来ました。田園の中の神社でもあり平日でもあったので、境内には誰もおらず景色を独り占めすることが出来ました。
満開の桜と二の鳥居 正面の参道は桜のトンネル
左の舗装道は社務所の前に通じている
三の鳥居 拝殿正面から 拝殿前面に掲げられた宮号額

拝殿奥の社号額 摂社玉垂神社 摂社万倉天満宮 流破風造の本殿 拝殿〜本殿

薬師堂 薬師堂の薬師如来像についての説明看板 祖霊殿 全景