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2010/05/23
066 鰐鳴八幡宮 旧郷社 2009.5.11 参詣
753-0213 山口市大字上小鯖583
祭神:八幡大神、足仲彦神、神功皇后
創建:寛弘・長和(1004〜16)頃宇佐八幡宮より勧請 例祭:10月最終日曜日
通称小鯖八幡宮
平安中期の寛弘・長和の頃(1004〜16)、宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられる。
そのため、寛弘元年(1004)を創建年と定めて式年祭を斎行している。
伝承によると、宇佐から御勧請の八幡さまは鰐石から上陸されたため、神様をお慕いして従いて来た鰐は、ここで鳴(泣)いて別れを惜しんだという。その故事により「鰐鳴八幡宮」と申すようになったと伝えている。
鰐とは海上生活者のことであろうかといわれているが、御神徳をあらわす伝承と思える。
当時宇佐へ神様をお迎えに行ったという刈屋・原田・伊藤の三家も、現在なお家系を連綿として伝えている。
勧請当時の氏子は、沖目の諸村(小俣・大道ほかの7村に渉っていた。しかし、鎌倉時代の正治元年(1199)に、小鯖の氏子と小俣の氏子が争論を起した。これは祭礼時、御符奉持役の小俣氏子は、祭礼のお符を八幡宮へ御かえしせず、そのまま御神体として小俣の地に奉斎し、新たに小俣八幡宮創立としたためである。
そのことにより、小俣八幡宮は小鯖八幡宮末社となって、現在に至っている。
当社は、大内・毛利両氏の時代を通じて、領主や藩主の崇敬が篤かった。両氏による社領証判も現存し、社領として維新まで御除高二石が充てられていた。
もと柊の地に鎮座していた柊神社は、明治43年(1910)、現在地に移して奉斎し、柊の社殿はそのまま遥拝所とする。
御祭神は医薬・殖産の神であり、病気平癒の神として特殊信仰のある神社である。
藩主毛利宗広公の二女誠姫様の病に、霊験あらたかであったため、毛利家の尊崇がきわめて篤かったと文書に書きのこされている。
鳥居を献じて祈れば、殊更に婦人の病に霊験があると云い伝えられている。
県道に沿って看板が出ているのですぐにわかる。
県道脇に駐車して参拝すると長い一直線の参道を歩くことになるが、左右は見事な桜のトンネルでその季節にはさぞかし見事なものと思われる。
もっとも車で参集殿横の運動広場まで乗り入れることも可。
拝殿は山口独特の楼門を兼ねた造で、県の文化財になっている。
拝殿前は放生池を中心にちょっとした庭園になっている。
県道沿いの一の鳥居 一の鳥居下から見た参道 一の鳥居脇にある板碑と説明 二の鳥居 放生池前の由緒書き

全景 本殿 拝殿斜めから 境内社柊神社