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2010/05/05
z001 金龍山  浅草寺 聖観音宗総本山 2007.12.1 再訪
111-0032 東京都台東区浅草2−3−1 東京メトロ銀座線「浅草」駅下車徒歩5分
東京都内最古の寺院。本尊は聖観音(しょうかんのん)。もと天台宗に属していたが、第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。
観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。
推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。
この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、この人物の氏名には諸説あり)は出家し、屋敷を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。
観音像は、高さ一寸八分(約5.5センチ)の金色の像であると言われるが、公開されることのない秘仏のため、その実体は不明というほかない。その後、大化元年(645年)、勝海上人という僧が寺を整備し、観音の夢告により本尊を秘仏と定めたという。
平安時代初期の天安元年(857年)、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が来寺して「お前立ち」(秘仏の代わりに人々が拝むための像)の観音像を造ったという。これらのことから、浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。
雷門や仁王門は天慶5年(942年)、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に創建したとの伝えがあり、この頃に寺観が整ったものと思われる。
江戸時代後半には、境内に「仲見世」の前身である商店や芝居小屋が設けられ、大道芸人が集まるといった、庶民の娯楽センターの役割も果たしていた。そうした傾向は近代以降も引き継がれ、浅草は庶民の盛り場、娯楽場として発達し、浅草寺はそのシンボル的存在であった。
明治初期には境内が公園地に指定され、1885年(明治18年)には表参道両側の「仲見世」が近代的な煉瓦造の建物に生まれ変わった。
関東大震災では浅草区は大半が焼失する被害にも関わらず、境内は一部建築物が延焼するだけの被害で済んでいる。
しかし、1945年(昭和20)3月10日、東京大空襲で、旧国宝の観音堂、五重塔などが焼失。
太平洋戦争後の浅草は、娯楽の多様化や東京都内の他の盛り場の発展などによって、一時衰退した。しかし地元商店街のPR活動によって徐々にではあるが過去の賑わいを取り戻しつつあり下町情緒を残す街として東京の代表的な観光地となっており、羽子板市、ほおずき市などの年中行事は善男善女で賑わっている。(Wikipediaより)
学生時代を含め幾度となく訪問していますが、いつもその人出の多さには驚かされます。

五重塔
本堂正面から 本堂正面2