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2010/05/05
z018 心城院 天台宗 2008.8.10 参詣
113-0034 東京都文京区湯島3-32-4  江戸三十三観音第七番札所
当山はもと宝珠弁財天堂と称し、湯島天神の一堂宇であった。
湯島天神は菅原道真公を祭神としているが、道真公は、藤原時平公の讒言により九州へ流されたとき、その冤罪をそそぐため聖天(大聖歓喜天・大聖歓喜自在天)様に祈念され、その信仰が篤く、ために「天満大自在天」ともいわれた。
ときに江戸の元禄七(1694)年、湯島天神別当職の天台宗喜見院第三世宥海大僧都が、道真公と因縁浅からざる大聖歓喜天を湯島天神境内に奉安するため開基されたのが当山のはじめで、この聖天様は比叡山から勧請した慈覚大師作と伝えられている。
当山は太田道灌時代には湯島天神の表門に当り、また道灌の皓月亭跡とも伝えられた。
元禄の開基以来当山は湯島の聖天さまとして熱心な信者の参詣があり、有名な紀国屋文左衛門も当山に帰依された一人であった。
明治維新の神仏分離令の影響で当山も廃寺の運命にあるところだったが、聖天様の御加護により湯島天神との本末関係を断つのみで、その難を逃れた。
単独の寺院として歩み出した当山は、建立当時の因縁により天台宗に属し、寺名を心城院と改めた。
当山は開基以来幾度となく発生した江戸の大火(有名な振袖火事、安政の大火)、大正大震災や東京大空襲の戦災にも遭うことなく法灯を伝えてきたが、約三百年の長い風雪に耐えた堂宇は老朽化し破損が甚だしくなったので、近年に改修された。
また境内には江戸名水の一つ「柳の井戸」があることから「柳井堂(りゅうせいどう)」と称され、これについて徳川時代の文献(江戸砂子 御府内備考・紫一本・江戸志)に次のようにある。
    柳の井  男坂下

  この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ、垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけづると云う心にて、柳の井と名付けたり。
と記され、この名水により大正大震災の時、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の唯一の水として生命を守ったため、当時の東京市長から感謝状を受けた。
→心城院のホームページ
湯島天神に参詣した折り、地下鉄の駅に向かう途中にある当時の案内板に惹かれて参詣致しました。
小さなお寺ですが暑いさなかでも涼しさを感じる清楚な佇まいでした。
由緒書き看板と札所札 本堂 案内パンフレット