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2010/05/05
z042 鷲峰山  大興善寺 曹洞宗 2009.2.16 参詣
802-0978 北九州市小倉南区蒲生2-8-6
寛元3年(1245)時の執権北条時頼公の命により佐野源左衛門尉常世によって奈良の西大寺の末寺として建立。
当時は十八大寺のひとつであり、宗派は律宗であったが、慶長年間(1596)に現在の曹洞宗に改宗された。
建立当時の大興善寺の規模は大変大きく、荘厳で美しかったという。
また、歴応の初め(1338頃)には、僧侶、僧徒、沙弥等150人あまりが常に生活し、大いに開祖の宗風を振るい最も繁栄していた。
その頃、当時長門の物部武村・物部武直が、仏殿、講堂、宝塔、僧堂などを修造させた。
この時に、如意輪観音像、 金剛力士像が造られたことが、体内及び背面の墨書銘文により判明している。
天正年間(1574〜1592)大友の乱によって伽藍は悉く焼かれ僧侶、僧徒等は、逃散し、残った寺領も官府の所有となり寺宝等も悉く無くなったが、釈迦像、観音像、 二金剛像の4体のみは残った。
しかし、管理も行われずこれより20年間あまりは廃墟となっていた。
慶長の初め(1596)里人が力を合わせて跡地に草葺きの小屋を造り、東雲寺の禅僧、門室玄普和尚を住まわせ、これより曹洞宗の寺院となった。
当時の藩主、小笠原家の家臣、沖旅齋居士は日頃から大興善寺の没落していることを憂慮していました。
そこで、仏教に深く帰依し、日頃から慈善の行いの多かった小笠原忠真公夫人の永貞院を功徳主として再興をはかった。
寛文11年(1671)より伽藍の整備をはじめ、仏殿、方丈、 山門、弁天堂、舎利殿などが造立された。
その後何度か、火災に遭ったが、釈迦像、観音像、二金剛像、山門、舎利殿は現存しており、仏像4体は福岡県指定有形文化財、山門、舎利殿は北九州市指定有形文化財に指定されている。
(大興善寺のホームページより要約)
→大興善寺のホームページ
風の強い日の訪問であったが、境内を始め近隣の梅園の梅が満開に近く、良い香りが漂っていた。
お忙しい中、御住職も話の相手になってくださり大変恐縮致しました。
山門 山門前の文化財案内看板 山門横の鐘楼 仏殿 仏殿に掛かった山号額

仏殿前の巨大なサボテン!
御住職のお話では普通の柱サボテンで、まだ50年は経っていないとのこと
舎利殿 真新しい方丈 境内にあった梅の花 


御朱印