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2008/12/19
Z062 鳥飼八幡宮 旧県社 2009.11.12 参詣
810-0054 福岡市中央区今川2-1-17 地下鉄「西新」駅より徒歩5分
祭神:応神天皇,神功皇后,玉依姫尊,大物主大神,崇徳天皇
創建:不明(西暦400年頃?) 例祭:10月19日
神功皇后が新羅より凱旋され、姪ノ浜に上陸され、夜になって鳥飼村平山というところにお着きになられた。この時そこの村長はじめ鳥飼氏一同が夕の御膳を差し上げたところ、皇后たいへんお喜びになり胎内の皇子(後の応神天皇)の将来を御祝いして近臣等に御手づから盃を給わり酒をすゝめられ、この地にお泊りになった。後に村長になった人の子孫がゆかりの地に社殿を建て「若八幡」と名付け祀られたのを起源とする。
代々鳥飼氏が奉祀していたが中世以降、戦乱の時代になると香椎宮大宮司の武内氏の支族を招いて社職を司られた。
南北朝後醍醐天皇の年中(14世紀)菊地武光の軍が北條英時を攻め、この鳥飼の地が戦場となり、兵火の為に社殿が炎上した。
神職平山式部少輔宗重は御神体を奉持して避難したが旧記、古文書宝物類は、ことごとく焼け失せてしまった。
その後再建され祭も執り行われていたが天正年間(16世紀)御笠郡四王寺山岩屋城主の高橋紹運の軍に夜襲をうけ、社殿が兵火により再び焼失し年中行事の祭典も中絶するに至った。
その後筑前の国主となった黒田長政公が慶長13年(1608)に鳥飼八幡宮御社地に別邸を建てることとなり、鳥飼浜松林の中(現在の鎮座地)に仮宮を建て遷宮。
寛永2年(1625)鳥飼氏氏子により新たに神殿を建立して正遷宮する。
寛永18年より中断していた祭を再び行うようになり、今も絶える事なく続けられている。
(平成の祭データより抜粋要約)

→鳥飼八幡宮のホームページ
地行バス停のすぐ傍にあるが、バス通りの方は裏口にあたり、立派な随身門は南側にある。
境内は結構広いが、多少荒れ気味で今少し整備が望まれる。
北側のバス通り側から境内に入ったが、正式には南側に立派な随身門がある。
バス通り側の入口 大鳥居 境内社 拝殿 本殿


御朱印
拝殿横から 立派な神門(随身門)を拝殿前より見る 南の入口から見た随身門 バス通りに出ている案内看板