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2012/01/27
085 志賀海神社 旧官幣小社、式内社、別表神社 2012.1.26 参詣
811-0323 福岡市東区大字志賀島877
祭神:《主》宇都志日金拆神、《配》住吉三神,天児屋根命
創建:不明 例祭:10月第2日曜日
古事記上巻に「此三柱綿津見神者阿曇連等之祖神以伊都久神也阿曇連者其綿津見神子宇都志日金拆命之子孫也」旧事記に「底津少童命・仲津少童命・表津少童命(綿津見神の別号)此三神者阿曇連等所祭筑紫斯香神也」即ち神代の昔伊弉奈岐大神筑紫の日向の橘の小戸の檍原に禊祓ひ給ひ身心の清浄に帰り給ひし時生れ給ひし御神にして海神の総本社として鴻大無辺の神護を垂れ給ひ諸々の海の幸を知食し給ふ故に神功皇后御征韓に際しては神裔阿曇連磯良丸命をして舟師を導かしめ給ひ又元寇の役その他国家非常に際し赫々たる御神威を顕はし給へり、さればしばしば勅使の奉幣あり延喜の御代には名神大社に列せられ或は封戸奉り神階を賜ふ等上下の尊崇深厚を極め神領等も頗る多く、中津宮、沖津宮と共に三社別々に鎮祭せられ結構壮麗を極めたりしが其後久しく兵乱打続き神領等も次第に失せびて漸次衰微するに到れり然るに豊臣秀吉九州出陣に際し朱印地の寄進ありたる外、大内義隆、小早川隆景、小早川秀秋、黒田長政等諸将相についで社殿の造営神領の寄進等ありて凡そ面目を改めるも尚到底昔日の比にあらず、明治5年僅かに村社に指定せられたる状態なりしが大正15年官幣小社に昇格仰出されたり。(平成の祭データ)
駐車場から大鳥居をくぐって神門に向かう参道は自然林に囲まれ結構距離を感じるが、高台にあるにもかかわらず風の冷たさをさほど感じなかったのはその自然林のおかげか?
春秋の山誉め祭には「君が代」が神楽歌として伝わり、九州王朝起源説もある。
参道入口の案内解説板 参道入口の石標 大鳥居と参道 参道から神門を 神門

拝殿 神功皇后ゆかりの亀石 境内からの展望 本殿 神門

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