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2010/05/24
Z034 葛原八幡神社 旧郷社 2008.8.18 参詣
2010.1.11 再訪
800-0251 北九州市小倉南区葛原4-3-1
祭神:品陀和気命、息長帯比売命、和気清麻呂公
創建:神護慶雲年間(767〜) 例祭:10月最終日曜日
当社の創立は、和気清麿公の事蹟に由来するもので、称徳天皇の神護慶雲年間(767〜)天皇の寵を受け、政界に進出した弓削道鏡は宇佐八幡神の神勅と偽り皇位を我がものにしようとしてしました。
清麿公は改めて勅使に任ぜられ宇佐宮に参向し、真の神勅を受けて道鏡の意をくつがえしたため、道鏡の怒りにふれ足の筋を断たれて大隅国(鹿児島県)に流罪となりました。
途中、公の御舟が宇佐郡・田村に流れ着いたとき、突如、山中から白鹿が現れ、公を背に乗せ、左右を200頭余の猪が守護し宇佐宮へと導きました。(日本後紀、水鏡による)
公は神前に詣で、八幡神に罪なきことを乞い奉ると八幡神が出現され、「是より西方十七理の規矩郡竹和山の山麓に温泉あり此処に浴せば必ず癒える」とお教えになりました。
公は、その神託のまにまに温泉に浴すと数日にして足が立ち、それから此の山を「足立山」と呼ぶようになりました。(湯川水神社の境内に今も湧き出ている。)
これより公は、蜂ケ坂(安部山清麿石像付近)に庵を結び住み、八幡神への神恩感謝の為、神祠をたてて自ら朝夕に奉斎しておりました。これが葛原八幡神社の起こりです。
其の後宝亀元年(770)公は赦免され都に帰ることになりましたが、延暦18年(799)甍じ給い、それを伝え聞いた里人が清麿公の神霊を八幡社に合わせ祀っておりました。
下って、弘仁8年(817)清麿公の嗣子真綱、勅使として宇佐宮へ帰途、蜂ケ坂に立ち寄り御神誨を仰ぎ八幡社を現在の地に遷し奉り、神功皇后、父清麿公の神霊を左右の相殿に合祀されました。(平成祭データより要約)
駐車場は正面より反時計回りに大きく迂回して神社拝殿の横手にありました。
授与所にはステッカーなども並んでいましたが、折しも急に雨が降り出したこともあり写真を撮しただけで後にしました。
駐車場脇の社号石標 境内から参道を見る 拝殿正面 和気清麻呂公像 拝殿に掛けられた社号額


交通安全ステッカー

御朱印
全景 本殿 正面の大鳥居