山口県下関市

面積
男人口
女人口
総人口

市の木
市の花

715.83km2
138,096人
158,154人
296,250人(2005年7月31日現在)

クスノキ
ハマユウ

概要 下関市は、山口県の最西端に位置する市。
人口約30万人の県内第1位の都市であり、中核市に指定されている。
2005年2月13日、周辺4町と対等合併して新市制を施行し、同年10月1日に中核市へと移行した。
元の下関市は明治22年(1899)4月1日に日本で最初に市制を施行した31都市の一つ。(中国地方では広島市と松江市、下関市(当時は赤間関市)の3市のみ)
赤間関(あかまがせき)、赤馬関(あかまがせき)は下関の古称で、馬関(ばかん)は別称。

歴史 古くより九州や大陸からの本州の玄関口として栄えた。また日本史における数々の重要な出来事に関係している都市でもある。
7世紀、長門国の国府が設置された。
1185年(元暦2年・寿永4年)、源平合戦最後の戦いである壇ノ浦の戦いが起こった。
江戸時代になると毛利輝元の養子だった毛利秀元が市内長府に館を構え長州藩支藩である長府藩を立藩。その後、長府支藩である清末藩が立藩された。
幕末には高杉晋作や伊藤博文らが中心となって結成した奇兵隊の活動拠点となった。
1895年(明治28年)、下関市で日清戦争後の講和会議が行われ下関条約が締結された。
1889年(明治22年)、赤間関市(あかまがせきし)として市制施行。日本で最初に市制施行した31市の中の一つである。
1902年(明治35年)、下関市に改称。
1943年(昭和18年)、関門鉄道トンネルが開通。
1950年(昭和25年)、2リーグに分裂したプロ野球のセリーグの一員として、下関球場を本拠地とした大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)設立。
1958年(昭和33年)、関門国道トンネル・関門人道トンネルが開通。
1970年(昭和45年)、関釜フェリーが就航、太平洋戦争終結以来25年ぶりに釜山と結ばれる。
1973年(昭和48年)、関門橋(高速道路)が開通する。交通の要衝として発展し、その地位は県内で不動となっている。
2005年(平成17年)2月13日、豊浦郡菊川町・豊田町・豊浦町・豊北町と合併し新しい下関市となった。