Last Update
2010/01/30
小月・吉田地区
1 東行庵 高杉晋作(号「東行」(とうぎょう))の愛人おうのは、晋作の死後、尼となって(谷梅処(たにばいしょ)と改名)、その墓を守り菩提(ぼだい)をとむらうようになった。
はじめは山形有朋が住んでいた吉田の無隣庵(むりんあん)を僧堂にあてていたが、明治17年に山形有朋・伊藤博文・井上馨らの寄付によって、無隣庵の隣接地に、現在の東行庵が建立された。
早春は梅、初夏は菖蒲、秋は紅葉の名所として知られている。
2 東行記念館 昭和41年高杉東行(晋作)百年祭を記念した事業として東行庵のそばに建てられました。
 従来から東行庵に収蔵されていた多くの資料とともに館内に展示されています。
3 奇兵隊の陣屋跡 慶応元年(1865年)4月、吉田に陣を構えた奇兵隊は、町全体を要塞(ようさい)化し、寺院などに分散して駐屯(ちゅうとん)していた。
この仮住まいの状態が約2年続いた後、慶応3年8月奇兵隊はここ、吉田諏訪(すわ)の地を開き、陣屋を築いた。
以後明治2年(1869)11月の解散まで、この地を本拠地としていた。
陣屋は、堤防を築いた上に、隊士部屋の他、講堂や稽古場、図書館施設などを構えた壮大な施設で、現在も当時の堤防が名残をとどめている。
4 常関寺(じょうかんじ)と十六羅漢 寛永5年(1628年)領主山内広通が建立。
幕末には奇兵隊の病院がおかれたため、負傷や病気で亡くなった奇兵隊士6名の墓がある。
本堂の背後に釈迦如来を中心に左右に文殊・普賢の二菩薩があり、そのまわりに表情豊かな16の羅漢像が並んでいる。
5

法専寺(ほうせんじ)と首切六地蔵

陣屋ができるまで、奇兵隊の屯所の一つとして使用された。
吉田の町全体を要塞(ようさい)化していた奇兵隊 にとって、ここは南側の砦(とりで)の意味を持っていた。
現在も境内には、隊士たちが首を斬ったと伝えられる六地蔵石仏や、小倉戦争で戦死した4番銃隊長阿川四郎ら奇兵隊士の墓がある。
6 木屋川(こやがわ)吉田河川公園 長門市に元を発する木屋川の広い河川敷に芝生広場や運動遊具が備えられ、川堰(かわせき)から、魚の遡上(そじょう)を助けるために設けられた川沿いの石造りの小川は水遊びにも丁度良く、家族連れでのんびり一日を過ごすのにも最適な公園である。
7 湯谷温泉 美祢市との市境、山間の静かなたたずまいにある温泉郷。
泉質は日本でも有数の含有量を誇る天然ラジウム泉で慢性リュウマチ、神経痛、皮膚病などに効能があるといわれている。
8